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自殺で残された家族と友人のケアとサポートの手引き(8)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新
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悲嘆と「悲嘆プロセス」についてのQ&A

 悲嘆とは何ですか?

悲嘆とは、自分の人生にとって重要な意味を持つ人や物を失ったときに経験する、さまざまな感情の反応のことを言います。経験する感情としては、悲しみ、怒り、不安、罪責感などがあり、きまった順番はなく、その強さもさまざまです。悲嘆は普遍的な経験ですが、家族のあり方、性別、文化、年齢やその他の要因によって、こうした感情がどのように行動として表現されるかが違ってきます。

誰でもが悲嘆を示すのですか?

誰でもが悲嘆を示す可能性がありますが、稀に感情反応を示すことができないように見える人がいます。悲しみは泣くことによって表現することが多く、悲嘆を表現するサインとして最も多いものの一つです。悲嘆を感じていても、外に示すような体験としては感じないこともあります。

気持ちを吐き出すためには、誰でも泣く必要がありますか?

気持ちを「しまいこむ」よりは悲嘆を表現できることが重要であるということは確かです。しかし、みんなが泣くことによってそれをするわけではありません。遺族となる前から泣くのが得意でなかった人は、やはり今も泣くことが難しく感じるかもしれません。そうした人は、体を強く動かすとかいった他の行動で気持ちを表現するかもしれません。あるいは音楽、物を書くとか、そのほかの創造活動で表現するかも知れません。

たとえば、ビリーはコントロールすることが誉められ、容易には気持ちを表に出す人がいない家庭で育ちました。母親が亡くなったとき、彼は気持ちをうまく話せませんでした。彼は悲しい曲をトランペットで吹くことで気持ちを表現し、しばしば何時間も吹き続けて近所の迷惑になったこともありました。

 悲嘆作業ないし「悲嘆プロセス」と呼ばれるものは何ですか?

悲嘆作業とは死別によってもたらされた混乱を解決するためのプロセスを言います。

死別を経験すると、人生について私たちが持っていた仮定(考えや信念)がくつがえされてしまいます。最初は、自分がコントロールできない環境になすがままにされる犠牲者のように感じ、混沌とした感情に振り回されます。それはこれまで経験したことのないおどろおどろしいものです。気が狂ってしまうのではないかと感じ、睡眠や死によって忘れ去ることを望みます。

支持的に接してくれる人の助けが必要です。これは簡単で身近な保全の社会資源であり、悲嘆プロセスに受動的にかかわっていた状態から能動的に関わるための助けとなります。

悲嘆からの「回復」は体も病気からの回復とは異なりますが、徐々に、愛する「他者」がいないことに適応(適合)し、新しい世界における新しいアイデンティティを形作っていきます。 適応(適合)のプロセスはこれまで述べてきた要因によって影響されますし、また、人生経験、過去の喪失体験、対処スタイル、性格、身体的健康によっても影響されます。このプロセスへの個々人の関わり方は独自のものであり、感情反応の全部の側面が含まれます。すなわち、悲しみ、怒り、恐れ、そして喜びまでもです。

悲嘆反応に積極的に関われば関わるほど(ただ座って「時が癒してくれる」のを待つだけでなく「行動する」こと)、なんらかの適応に至りやすくなります。すなわち、この出来事になんらかの意味を持たせ、人生を理解する新たな枠組み、新たな意味・目的を構築することができるように、この破壊的な経験を自分の人生に統合するということです。

「正常な」悲嘆というのはどういうものを言うのですか?

死別を経験しない人と比べると、死別を経験した人の行動の多くは、一時は異常に見えます。

一般的に、私たちの悲嘆はこれまでの生活での経験と類似したものになります。すなわち、悲嘆行動は、日常の生活行動の強さが増した、ないし誇張されたものになります。

 前に述べたように、しばらく食欲がなくなる、眠れなくなる、集中できなくなる、記憶の一部が失われたように感じる、落ち着かなく焦ったり無気力に感じる、麻痺した感じから絶望、怒りなどにいたるさまざまな感情、それにさまざまな身体症状を経験する、といったことがあります。奇妙でありありとした夢を見たり、亡くなった人の声を聞いたり姿を見たり臭いをかいだりできるように思ったりして、気が狂ってしまうのではないかと心配になります。気持ちが揺れ動くのに加えて、音や光や臭いや触覚が非常に鋭くなったように感じ、他人の不用意な言葉で傷つけられ易くなります。

こうした反応は悲嘆反応のさまざまな「段階」で出てくるものですか?

悲嘆はきちんと順序だった「段階」にそって起こるものではなく、混沌とした過程で、それぞれの人によって異なります。

すでに述べたように、それぞれの人の悲嘆は、これまでの生活を誇張したものであることが普通ですが、なかにはびっくりするような行動が出てくることもあります。悲嘆による麻痺によって抑制が取れてしまい、以前にちょっと頭を掠めたことがあるだけのことを言ったり行動したりしてしまうことがよくあります。

悲嘆反応には予測できるものもありますが、悲嘆のほとんどの部分は混沌とした過程で、慣れてくるにしたがって不安は少なくなります。ギリシャ語の単語の「カオス(訳注:英語の「混沌」の語源)」はぽっかりと口をあけた空白を意味し、この苦痛な、そして普遍的な経験をとてもよく表しています。