自殺で残された家族と友人のケアとサポートの手引き(1)
目次 | (1) | →(2) |
はじめに
あなたの大切な人の一人が自ら死を選び、その結果、さまざまな問題があなたにふりかかります:
耐えられないほどの悲痛;驚き、混乱;取り残された空虚感;怒り;罪責感;情け容赦なくつづく答えのない疑問です。
もしあなたが家族、友人、同僚の死を発見したり、その場面を目撃したという場合は、心の傷という負担も背負わなければなりません。その光景、臭い、音の記憶が消えず、何事にも集中できず、ひたすら亡くなった方を、亡くなった方の過去の姿を思い出そうとし続けてしまうかもしれません。 警察や検死官が関わることはやむを得ないことではありますが、あなたが子どものようになすすべなく傷つき易く感じる(「退行」という言葉を使います)ときに入り込んできて、参ってしまうこともあります。ときには、腹立たしいことですが、「あなたの面前で」メディアのごたごたがあるかもしれません。
いったい、残りの人生、1分1分を、1時間1時間をどうすごしていけばよいのでしょうか?
「普通の」生活をまた送っていくことなど望むことができるのでしょうか?
いったい、希望などあるのでしょうか?
そんなふうに感じるかもしれません。
これまでに経験したことがないほどの強い感情に、恐怖を感じることもあります
-自殺の悲嘆は他の原因による死の悲嘆よりもひどいかもしれないという恐怖です。
自殺の余波には、確かに特徴的な側面もありますが、悲嘆は悲嘆であり、その人の悲嘆の100%を超えるものではありません。研究によって、遺族に降りかかる問題の特徴が明らかにされています。しかし、それを見ても、長期的に見て、自殺だから「特にひどい」というものは示されていません。悲嘆を重くすることがある原因というのは、どの死についても同じく当てはまります。自殺による死と、他の突然死や暴力による死とを比べると、家族が感じる反応の多くが共通しています。 家族の羞恥心は自殺と関連することが多く、事故死とはあまり関連しないように思われます。
たとえば、ボブとエレーヌは19歳の息子が飲酒運転で死んだことを恥ずかしく思い、ぶつかった相手の車に乗っていた子どもの死について責任を感じました。ジャックとバーブは14歳の娘がパーティで始めて薬物に手を出し、ドアの入口のところで中毒死してしまったことを恥ずかしく思いました。
「危険因子」ということについて、後で述べます。
この小冊子は、あなたが示す苦痛について、家族、友人、支援組織やその他の人たちに簡潔に答えるものとして作りました。あなたのことを気遣う人が十分に気持ちを思いやり、知識を持ち、感受性を備えて、あなたの気持ちにこたえてくれることもあるでしょうし、「善意から」まったく間違った言動をとる人もいるかもしれません。 家族や友人が「あなた中心」のやり方で答えてくれる力があるかどうかはさまざまでしょう。しかし、必要に応じて他の資源を見つけて使うにはどうしたらいいかが簡単にわかれば、役に立ち、力づけられることでしょう。