標高約939mにある檜枝岐村は、高地のため昔から稲作ができませんでした。米がとれない代わりに人々は蕎麦を育て、イワナや山菜、キノコなど山の恵みを得ながら暮らしてきました※。そんな山の恵みの料理が、現代では「山人料理(やもーどりょうり)」と言う名前になって登山や観光に訪れた人に振る舞われています。
※現在、国立公園の特別保護地区などの採取禁止エリアでは、山菜やキノコ類、イワナ等は採取されていません。
「もともと山人料理というものはありませんでした。村の人が食べていた蕎麦や山菜、キノコなどの食事を観光客に出したのが始まりです」と檜枝岐歌舞伎前座長の星長一さん。
『山人(やもーど)』という聞き慣れない言葉は、檜枝岐村の言葉で山仕事で山に入る男性のことを差します。1970年代から村内に民宿が次々に誕生し、村人たちはそれまでの林業や農業から尾瀬を中心とした観光業に生活の糧を見出そうとしていきます。その際に、都会の人が食べる機会のない地元の山菜やキノコ、イワナなどの食材を活用する方がご馳走になるのではと考え、昔から食べられていた料理を山人料理と名づけて提供するようになりました。
星長一さん。 幼少の頃は、蕎麦、粟、ヒエ、キビの雑穀などを工夫して料理しながら主食としていたそうです。
山人料理。旅館や民宿によって独自の味が愉しめます。
当日締めた新鮮なイワナの刺身。
焼き餅。そば粉や小麦粉をお湯でこね、様々な具をいれて蒸した後に焼いたもの。
赤いのは「ぐみ餡」。
(料理撮影協力: 民宿駒口)
山人料理に欠かせない2つの食材、それは「イワナ」と「蕎麦」です。イワナは檜枝岐を流れる川にたくさんいますが、山人料理として各宿で提供するとなると一定数のイワナの確保が欠かせません。また天然物は大きさがバラバラになってしまい、大きさを揃える必要がありました。1988年より進められていた養魚施設が1991年に完成。良質のイワナを安定して供給できる体制が整います。養魚場では採卵、孵化、飼育、加工、販売、配達まで一貫して行い、鮮度の高いものが宿泊施設の食卓に上がります。
稚魚から成魚まで70万匹のイワナを養殖。
川の水を利用し、渓流の流れを再現。
川の水を利用し、渓流の流れを再現。
卵から孵化させて育てる完全養殖を行う養魚場は、福島県内では3ヶ所しかありません。稚魚の数は45万匹、成魚を含めると70万匹ほどを養殖しています。
「水温が一定の地下水を利用している養魚場が多いですが、ここでは見通川(みづうりがわ)からの水を引き自然に近い環境で成魚を養殖しています」と飼育担当の平野敬敏さん。
水温が1℃~15℃と変化が大きい川の水ではイワナの成長は遅くなりますが身の締まった質の良い身になります。出荷できる大きさになるのに1年半。刺身用や塩焼き用の成魚になるのは3年もかかるそうです。
飼育担当の平野敬敏さん。
出荷曜日とサイズに分けられた水槽。
養魚場では養殖だけでなく、宿の手間がかからないように刺身用に三枚に下ろしたり、塩焼き用に内蔵を処理して配達を行っています。村内に養魚場があるため、どの宿にも20分以内で配達が可能。山人料理で新鮮なイワナを提供できるのは養魚場があってこそです。
「鮮度の良いうちに血抜きをしているので臭みが出ません」と加工担当の橘啓祐さん。
養魚場では、一夜干しや甘露煮などの加工品の製造も担います。採れたてのイワナを同じ施設内ですぐ加工できるのも美味しさの理由のようです。
山人料理には欠かせない蕎麦。米がとれない檜枝岐村では古くから蕎麦を栽培してきました。檜枝岐村の蕎麦はつなぎを一切使用せずそば粉100%で作られているのが特徴です。いわゆる十割(そば粉100%)だとボソボソしがちですが、熱湯でこねる檜枝岐村の蕎麦はつるつるした食感になります。つなぎを入れないのはこだわりではなく、元々つなぎとなる小麦が採れなかったから。そのため檜枝岐村独自の蕎麦の製法が編み出されました。
檜枝岐村の蕎麦は「裁ち蕎麦」と「機械蕎麦」の2種類があります。裁ち蕎麦は平たく伸ばしたそばを何枚か重ね、包丁で布を裁つように切って作ります。一方、機械蕎麦は蕎麦生地を機械で押し出す製法です。こちらは断面が丸くなりのどごしはいっそうなめらかなものとなります。
「裁ち蕎麦は技術が必要だったため、機械蕎麦を作る家庭が多かった。蕎麦は祝い事の席でも欠かせないものでした」と星勝盛さんは昔を振り返ります。
裁ち蕎麦。断面が平たい。
機械蕎麦。断面が丸い。薬味に葉唐辛子を使うのも檜枝岐流。
星勝盛さん。
昔ながらの機械蕎麦製麺機。
以前、星勝盛さんは尾瀬の沼尻で蕎麦屋を経営されていました。
機械蕎麦の機械は、現在メーカーの取り扱いがありません。沼尻の蕎麦屋でも使っていた機械で、親の代から使用されているのだとか。「昔のものは丈夫で長持ち」と星勝盛さんは語ります。
急峻な谷間で畑作地がほとんどなかった檜枝岐村では、数キロ離れた七入や数十キロも離れた新潟県の銀山平に開拓地を作って蕎麦を栽培していました。現在、これらの蕎麦畑は村で管理しています。
キリンテの蕎麦畑
いかがでしたでしょうか。かつて米の採れない山あいの村で食べられた料理は、現在、山人料理というふくしま尾瀬の特色の一つとなって受け継がれています。自然と共存しながら生きてきた人々の食文化をぜひ皆さんの舌で体験してみてはいかがでしょうか。