しらかわ-福島県県南地方-[観光情報][地域別-白河市]2
観光情報[白河市]
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安珍堂(あんちんどう)
歌舞伎などでも演じられる悲恋の物語として有名な道成寺の物語、その主人公である安珍僧生誕の地が白河根田地区ということで、ここにその像を祀った安珍堂が建立されました。修行僧安珍が和歌山県熊野山で修行の際出逢った清姫に一目惚れされます。しかし修行中の身であった安珍は再会の約束を破ってしまい、それに激怒して蛇身と化した清姫は、安珍が逃げ込んだ道成寺を梵鐘ごと焼き尽くしてしまうという話です。地元有志の意向により、安珍像は昭和60年、その舞台ともなった和歌山県の道成寺から遷座されました。お堂の近くには「安珍の墓」や「安珍堂の桜」もあります。毎年安珍の命日である3月27日の「安珍忌」には、安珍堂前で県指定重要無形民俗文化財「安珍歌念仏踊」が奉納されています。
所在地 | 〒961-0004 白河市萱根根田 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
庄司戻し桜[霊桜碑](しょうじもどしさくら[れいおうひ])
庄司戻し桜(霊桜碑)は、市指定の史跡です。伝記によると、治承4年(1180年・平安時代後期)、源義経は平家追討のため平泉から鎌倉に向かいました。これを知った信夫(福島)の庄司佐藤基治は、息子の継信・忠義兄弟を従わせるため、この地まで見送りに来ました。その際、基治は手にしていた桜の枝を地面に挿し、「吾児君に忠ならば生よ、若し不忠ならば枯れよ」と言ったと伝えられています。後に佐藤兄弟は勇猛な戦いぶりで源氏側を勝利に導き、それぞれに立派な最期を遂げました。桜は主君義経に対する兄弟の忠義を称えるかのように見事に根付き、花を咲かせるようになったと伝えられています。現在ある桜は江戸時代に焼失したあとに芽吹いたものといわれており、見頃を迎える4月中旬になると美しく咲き誇ります。
所在地 | 〒961-0401 白河市表郷中野庄司戻 |
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問合せ先 | 白河市表郷庁舎 |
Tel | 0248-32-4785 |
Fax | 0248-32-2234 |
料金 | 無料 |
和泉式部庵蹟と化粧の井(いずみしきぶあんせきとけしょうのい)
和泉式部庵蹟と化粧の井は、白河市指定の史跡です。平安時代の女流歌人和泉式部は、重病の父を見舞うため帰郷する道中、士族の争いを避けるためにこの地に留まったと伝えられています。和泉式部は争乱が早く鎮まるようにと、草庵を作って阿弥陀尊像を祀り待ちました。現在その像は、白河市にある常宣寺に納められています。その間、「白河の関にこの身は留めども心は君の里にこそゆけ」という一首を詠んで父に送りましたが、結局会えないまま帰洛したといわれています。近くには、和泉式部が化粧をしたといわれる井戸「化粧の井」も残っています。
所在地 | 〒961-0401 白河市表郷中野字式部内 |
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問合せ先 | 白河市表郷庁舎 |
Tel | 0248-32-4785 |
Fax | 0248-32-2234 |
料金 | 無料 |
建鉾山祭祀遺跡(たてほこやまさいしいせき)
建鉾山は円錐形をした標高403mの小さな山です。古代、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が蝦夷征伐に赴く際、この山頂にあった岩に自らの鉾を立てて神に勝利を祈りました。この岩は『建鉾石』と呼ばれており、傍には小さな石祠も建っています。ここから下ったところには高さ数十mの一大巨岩群があり、そこからさらに40m程下の一帯からは、5世紀中頃のものと推定される鉄製の武器や銅鏡、石製模造品の鏡・農具、勾玉や土器片などが出土しました。安政3年(1856年・江戸時代)に作られた地図によると、この出土場所は「御宝前」という名で区切られており、どうやら五穀豊穣や安全を祈願する巨石信仰の祭祀場とされていたようです。江戸時代には立ち入り禁止となっていたようですが、昭和33年に遺跡などが発見されました。建鉾山祭祀遺跡は、東北最古・最大の遺跡といわれ市指定の史跡となっています。
所在地 | 〒961-0414 白河市表郷高木字高野峯山 |
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問合せ先 | 白河市建設部文化財課 |
Tel | 0248-27-2310 |
Fax | 0248-27-2256 |
料金 | 無料 |
南湖神社(なんこじんじゃ)
日本最古の公園といわれる南湖公園の湖畔に、南湖神社が鎮座しています。初代宮司・中目端男氏の呼びかけに始まり、定信公を慕う白河市民や日本資本主義の父といわれる渋沢栄一氏の支援によって、大正11年に創建されました。白河の名藩主・松平定信公が御祭神として祀られています。除災開運・縁結び・商売繁盛・学問成就・交通安全・政治などに御利益があるとして、たくさんの人が参拝に訪れます。境内に併設された宝物館では、絵画や書にも秀でていた定信公による自画像や直筆の書などが展示されています。また、神社参道沿いに立つ御神木「楽翁桜」は樹齢約200年といわれており、堂々とした姿が参拝に訪れる人々を出迎えています。
所在地 | 〒961-0811 白河市菅生舘2 |
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問合せ先 | 南湖神社社務所 |
Tel | 0248-23-3015 |
Fax | 0248-23-3500 |
料金 | 見学自由、無料 |
白河神社(しらかわじんじゃ)
関東と奥州の境である白河の関跡に白河神社があり、関の明神、二所関明神とも呼ばれています。起源は成務5年(315年・古墳時代)に遡り、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじのあたい)を祀ったのが始まりだと言われています。境内には、白河藩主・松平定信公の考証によってここが白河関跡であるとされ寛政12年(1800年・江戸時代)に建てられた関跡碑のほか、平兼盛や能因法師が詠んだ古歌の碑があります。治承4年(1180年・平安時代)には、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝えられています。「矢立の松」とよばれ、今は小さな根元のみの姿となって残っています。また鎌倉時代初期、藤原家隆が奉納したといわれる推定樹齢800年の「従二位の杉」が八方に枝を広げて聳え立っています。境内は、特別史跡名勝天然記念物に指定されています。
所在地 | 〒961-0038 白河市大字旗宿字関ノ森120 |
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鹿島神社(かしまじんじゃ)
白河市旧東村にある鹿島神社は、養老元年(717年・奈良時代)7月、常陸国(現・茨城県)鹿嶋より勧請されました。明治36年(1903年)になると社殿の建て直しが行なわれ、その際、信夫郡(現・福島市)の彫刻師・平間弥助によって一対を成す昇り龍・降り龍の彫刻が奉納されました。「鹿嶋神社神殿の彫刻」として白河市の文化財に指定されています。参道入口から石階段を登ると、一対の狛犬が見下ろすように立っています。「飛翔獅子」と呼ばれる子連れの狛犬が雲に乗り空を飛ぶ形式で、石工小松寅吉によって作られた最高傑作ともいわれ、明治26年に奉納されています。
所在地 | 〒961-0301 白河市東下野出島字坂口 |
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鹿嶋神社(かしまじんじゃ)
鹿嶋神社は、宝亀年間(770~781年・奈良時代)光仁天皇の時代に武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったことが始まりといわれ、弘仁2年(811年・平安時代)坂上田村麻呂が東北遠征の折、常陸国鹿嶋大明神をこの地に勧請し、以来白河の総鎮守として鎮座しています。歴代の藩主からの信仰も篤く、祭田や社殿などが寄進されてきました。中でも寛政7年(1796年・江戸時代)時の白河藩主・松平定信公より奉納された「楯無しのよろい」は、白河市文化財に指定されています。明治43年(1910年)に火災にあい、殆どのものが焼失してしまいましたが、大正元年(1912年)に再建されて現在に至っています。鹿嶋神社では、古く400年前から続く伝統行事「白河提灯まつり」が二年に一度行なわれています。日本三大提灯まつりの一つにも数えられ、鹿嶋神社を起点として街を練り歩く提灯は数千個にも及び、その幻想的な光の行列は参加者や見物に訪れた人々の心を魅了します。
所在地 | 〒961-0051 白河市大鹿島8 |
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Tel | 0248-23-3079 |
Fax | 0248-22-9933 |
料金 | 見学自由、無料 |
HP | http://www.kashimajinja.jp/ |
関川寺(かんせんじ)
関川寺は、明応元年(1492年・戦国時代)白川城主・結城宗広公によって天台宗の「関銭院」から曹洞宗寺院として中興されたと伝えられています。天正9年(1581・安土桃山時代)、現在の地に移されました。境内には、白河藩士の子であり赤穂浪士四十七士の一人でもあった中村勘助の妻のお墓があります。勘助は、妻子に罪が及ばないよう討ち入り前に白河の親戚へ預け、吉良邸に向かったといいます。討ち入り当日の12月14日には毎年「義士追悼の集いと義士そば会」が行われ、法要後には赤穂義士が討ち入り前に食べたと伝わる蕎麦が振る舞われます。また、結城宗広公の遺髪を納めた墓や白川結城氏の廟、戊辰戦争で戦死した棚倉藩士・小池理八の供養塔があります。開山者の結城氏にちなんで「結城桜」と呼ばれる枝垂れ桜も有名で、やわらかな花色が訪れる人々の心を癒しています。
所在地 | 〒961-0942 白河市愛宕町94 |
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常在院(じょうざいいん)
常在院は天授二年(1376年)、源翁和尚により開基され、かの松平定信公も訪れたといわれる古刹です。伝記によれば、源翁はその昔、那須野に棲む九尾の狐が退治され石と化した、その殺生石を打ち砕いたと伝えられています。常在院には、その一説と縁のある『玉藻前物語』をモチーフに描かれた「紙本著色源翁和尚行状縁起」という絵巻物と、それに由縁する殺生石の一部が納められています。絵巻物は、県指定の重要文化財となっています。また本尊とならび重要な源翁和尚坐像は、仏教史上重要な人物の頂相(禅僧の肖像画・彫刻)として貴重で、こちらも福島県の重要文化財に指定されています。和尚の面影を偲ばせるこの像は、頭と胴体が一木で造られており、応永三年(1396年・室町時代)頃の作品と推定されています。
所在地 | 〒961-0407 白河市表郷中寺字屋敷79 |
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常宣寺(じょうせんじ)
常宣寺(じょうせんじ)は、長久2年(1041年・平安時代)帰郷の道中この地に留まった女流歌人・和泉式部が、長引く戦乱が早く鎮まるようにと祈るために草庵を建て、携えていた守り本尊の阿弥陀尊像を祀ったことが始まりといわれています。その後、天台宗の僧正法がこの草庵を「正法院」として再興しましたが、永禄2年(1559年・戦国時代)今の白河本町に移築され「常宣寺」となりました。さらに、寛永元年(1624年・江戸時代)には当時の白河藩主・丹羽長重によって現在の地に移されました。常宣寺の中には、福島県重要文化財に指定された「受苦図」が収められています。これは、子殺しがどんな罪を受けるかを村民に諭す為、時の白河藩主・松平定信公が絵師に描かせたものです。また、画僧として知られた二十二代目白雲作の寺額は定信公の書を木彫りにしたもので、白河市重要文化財に指定されています。
所在地 | 〒961-0925 白河市向新蔵136 |
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小峰寺(しょうほうじ)
小峰寺は、弘安3年(1280年・鎌倉時代)時宗の開祖である一遍上人によって創建されました。当時は一遍をはじめ、たくさんの上人が全国を行脚して布教活動を行っており、小峰寺もその拠点の一つとして使われていました。また白河結城氏がこの辺り一体に勢力を広げたこの時代には、小峰寺を移した跡に白川城がつくられたり、白河小峰城内に寺が移されたりと常に白河結城氏の縁ある場所に再建され、菩提寺としての役目も担ってきました。のちに丹羽長重が白河藩に入封し、小峰寺は現在の場所に移されます。本堂内には県指定重要文化財の厨子が置かれ、室町時代後期の特色をもつ漆塗りの美しい細工が施してあります。厨子とは仏像などを納める箱のようなもので、現在は地蔵菩薩が安置されています。
所在地 | 〒961-0955 白河市道場町40 |
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関山満願寺(せきさんまんがんじ)
白河市の南東にある標高619mの関山山頂に満願寺があります。天平2年(730年・奈良時代)聖武天皇より勅願を賜った高僧・行基によって開山されました。本尊として、天皇の持仏である聖観音像が納められていたと伝わっています。幾度も起こる山火事のたびに再建が繰り返されており、現在は「聖武天皇御願所」と書かれた額と銅鐘が残るのみです。この銅鐘は、寛文4年(1664・江戸時代)白河城三代目城主・本多忠平公が寄進したもので、国指定の重要美術品になっています。
所在地 | 〒961-0021 白河市関辺西ノ内1 |
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天恩皇徳寺(てんのんこうとくじ)
天恩皇徳寺(てんのんこうとくじ)は、もとは法相宗の高僧・勝道によって創建された勝道寺でしたが、平安時代末期に三十三間堂などの建立とともに再興されその名を改めました。境内には、白河口の戦いで戦士した新撰組隊士・菊地央(きくちたのむ)の墓や、同じ戦いで討死した会津同盟軍兵士を祀る慰霊碑も建てられています。また、会津地方の有名な民謡「会津磐梯山」にも登場する小原庄助のお墓もあります。呑兵衛の庄助らしく、徳利の上にお猪口が蓋をしている形を模したユニークなお墓となっています。
所在地 | 〒961-0936 白河市大工町83 |
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八幡神社[関辺](はちまんじんじゃ)
八幡神社は、毎年7月に「天道念仏さんじもさ踊り」が奉納される関辺地域の鎮守です。白河で有名なイベントの一つで、昭和50年には福島県の重要無形文化財にも指定されています。この念仏踊りは、田植えを終えた時期に天道(太陽)に向かい、五穀(米・麦・アワ・キビ・豆)の豊穣を祈ると同時に害虫を防ぐようにとお願いする神事で、境内に作られた祭壇を挟んで氏子の青年たちが踊りを納めます。「さんじもさ」は、「山神さまよ」が訛ったものといわれており、お囃子の中でも「サンジモサー、シチャラコチャッチャ」と歌われています。
所在地 | 〒961-0021 白河市関辺 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 見学自由、無料 |
日吉神社(ひよしじんじゃ)
この神社は、江戸時代末期である天保11年(1840年)、当時蕪内村の庄屋であった橋本地左衛門をはじめとする50名の寄付によって建立されました。木造の本殿側面には、当時の宮大工による見事な彫刻が施されています。作者である宮大工の名前などは文献にも残っていないようですが、彫刻が完成するまで庄屋宅に滞在し1年以上の歳月をかけて彫刻を仕上げたといわれています。昭和60年には、白河市の重要文化財(建造物)にも指定されています。
所在地 | 〒961-0936 白河市東蕪内字南屋敷 |
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峰全院(ほうぜんいん)
福島県の重要文化財である銅製雲板(鳴り物の一種)が収められています。この雲板には「奥州白川之庄小峰集雲山峰全院応仁元年亥丁八月吉日大工弥次郎」と刻まれており、室町時代である応仁元年(1467年)に作られたといわれています。また、樹齢300年・高さ25mの老杉を覆う山藤は、白河市の天然記念物に指定されています。こちらの藤は樹齢250年と推定されており、初夏には、こぼれんばかりの美しい花々が咲き誇ります。峰全院の裏参道には、原古墳群と呼ばれる円墳群があり、大正時代開墾の際に大量の出雲石製勾玉・管玉・切子玉などが発見されています。
所在地 | 〒961-0403 白河市表郷番沢字原11 |
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妙関寺(みょうかんじ)
寛保元年(1741年・江戸時代)白河藩主・松平大和守家の菩提寺であった永寿寺が藩主の転封に伴い廃寺となり、留まった僧がその跡地に創建したのが妙関寺(みょうかんじ)と伝えられています。境内に植えられた樹齢400年・高さ13mの紅しだれ桜が有名で、艶やかな濃いピンク色の花を咲かせることから「乙女桜」とよばれています。伊達政宗が将軍家に苗木を献上に上がる道中この地に立ち寄り、その内の一本を妙関寺の住職に授けたと伝えられています。白河市の天然記念物に指定されており、見頃を迎えるとたくさんの見物客で賑わいます。
所在地 | 〒961-0943 白河市金屋町116 |
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龍蔵寺(りゅうぞうじ)
龍蔵寺は、万寿3年(1026年・平安時代)白河の領主太田行隆により創建され、もとは「羅漢山真照寺」と呼ばれていました。その後、この地を治めた白川結城氏第2代当主・結城宗広により「龍蔵寺」と改名されました。『白川風土記』によると、江戸時代、同じく白河にある宝積院とともに周辺の真言宗寺院を統率したほか、壇林とよばれる修行僧育成のための学問所も創設された、とあります。龍蔵寺には、元禄4年(1691年・江戸時代)白河藩主・松平忠弘が奇進した「銅鐘」があります。「乳」とよばれる釣鐘上部のいぼ状突起がないのが特徴で、昔から「奥州白河いぼなしの鐘」として有名です。この銅鐘は国の重要文化財に指定されています。
所在地 | 〒961-0903 白河市年貢町60 |
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