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2016年06月留学生スタディツアー参加者レポート10

大学名: 日本大学工学部名前:  唐 嘉序 (トウ カジョ)

 6月18日と19日に一泊二日の福島県スタディツアーに参加しました。ツアーの最初の目的地は大安場史跡公園でした。公園では、古墳の形そっくりの建物(陳列館)を見学し、古墳の土地選び、使った労力、面積などといった情報について説明を受けました。特に、古墳遺跡から見つけた文物から、飲食業の展開や階級制など、当時の文化を伺うことができます。震災以降、館内のスタッフはすぐに遺跡の修復作業に取り込み始めました。古墳群にビニールシートをかぶせることによって、降雨による崩落などの二次災害を免れました。原発事故以降、放射性物質への心配から同園が企画した古代食(ちまきなど)作りなどの催しに支障が出ていました。来園者の安全・安心のために、スタッフたちは食材の調達に工夫し、古代の土瓶を再現した粘土作りなどのイベントを新たに企画しました。この努力は、実に尊敬すべきだと思います。

 初日の昼食は、芳本茶寮で郷土料理のわっぱ飯と手打ちそばを頬張りました。個人的に市販のそばが嫌いですが、手打ちそばはひと味違いました。コシがあって噛みごたえもすごく良かったです。何よりも、私たち外国人のために現地の住民たちが一生懸命地元の名産を使った料理をもてなしてくれたので、格別に美味しく思えました。また、食卓に置いてあった会津弁説明のメッセージに、おもてなしの真心を感じました。

 続いて私たちは猪苗代第一発電所を見学しました。特筆すべきは、これは水力発電所ということです。スタッフの説明を通じて、私は福島県のエネルギー供給は原発以外にも、火力発電、水力発電及び新エネルギー発電所などがあることを知りました。新エネルギー発電が占める割合はとても少ないのですが、原発より安全性が優れており、火力発電より環境汚染が少なく、水力発電よりも供給量が安定しています。福島県における新エネルギーの可能性は十分にあると私が思います。とはいえ、今回の水力発電所の見学には満足しています。そして、もし機会があればぜひ今度新エネルギーの発電施設に行ってみたいですね。

 その後、私たちは五色沼に訪れました。ここでは、お腹にハート模様が見える「うわさの鯉」に出会いました。これは実にいい商機だと思います。カップルの観光客はもちろん、婚期を逃したアラサー、アラフォーの男女や、恋に憧れる女子中高生にはきっと人気があるのでしょう。しかし、五色沼周辺の交通条件は整えておらず、よそからの観光客やマイカーを持ち合わせていない人たちにとっては不便で、客足にも影響を及ばすかもしれません。

 初日最後の目的地はNPO喜多方グリーンツーリズム・サポートセンターでした。ここで、宿泊先である農家のおじさん、おばさんたちと初対面しました。顔合わせして間もなく、宿主は私たちを車に載せて温泉に行きました。夕飯時の雑談で原発事故の影響について聞きました。宿主の斉藤さんの話によると、事故後当分の間、放射性物質の影響で福島県内全域に生産されていた農作物の売値が急落し、買い取ってくれる商家もいませんでした。斉藤さん家は米と葉たばこの栽培に力を入れていました。原発事故のせいで、葉たばこは3年もの間にわたって栽培に禁じられていました。米に関しても、これまでご愛顧のある客は4割減ったと言います。状況打開のため、斉藤さんは新たにアスパラガスの栽培を始めました。喜多方市が属する会津地方は放射性物質による汚染をさほど受けおらず、放射線レベルも東京と変わらないが、国が公表した汚染分布図に記載した「福島県」に該当するため、未だに農作物の売値は低下していると言います。農業大国の福島県にとっては、これは死活問題です。私は、国は福島県内各地の放射線レベルを細かくエリア分けして公表すべきだと思います。これぞ多くの産地にとって汚名返上に繋がる最も有効な一手だと思います。

 翌日(6月19日)の朝、私たちは市内にある小学校の廃校舎で花植えを体験しました。話によると、花植えの活動はずっと前から続いてきたと言います。地域に学校が廃校されると、やがて若者と希望が流出してしまい、交通不便な立地条件がさらに拍車がかかると、子育て世代の家族は地域から転出しかねません。さらに、お年寄りだけ残された地域に深刻な労働力不足に陥り、一気に寂れてしまうと言います。今回のスタディツアーで一番勉強になったのは、福島県の現状を知ったことです。そして、福島県民は故郷の復興に向けて諦めずにコツコツと働き続けていることです。努力が積み重ねば、福島はきっと復興を果たせると思います。

 お世話になった農家と別れを告げると、私たちは鶴ケ城会館で会津伝統の郷土玩具「赤べこ」の絵付けに挑戦しました。昼食のあと、震災を経験した庄子さんの話を伺いました。庄子さんは原発のある大熊町の住民で、事故の影響で故郷に戻ることが許されませんでした。原発事故で庄子さんが得た教訓は「原発の安全神話は作り話でしかない、我々は人間にコントロールできないものを作るべからず」と言います。また、庄子さんは故郷のキャラクターである熊をモチーフにして、新しい会社「會空(あいくう)」を立ち上げ、避難先である会津の伝統工芸品原料で作った人形を販売しています。新生活を送りながら、故郷を忘れずに頑張っている素晴らしい精神力に、きっと多くの人が感銘を受けて、一緒に福島の復興を応援するのでしょう。

 スタディツアーの最後に、鶴ケ城の天守閣に登り、好天候に恵まれた会津盆地を遠くまで一望しました。今回のツアーのおかげで、福島県について認識が深まりました。

 

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