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09:ダニエル・マーカウィッツ さん(カナダ)

 11月中旬の肌寒い朝に、福島県主催のJETスタディツアー参加者が集まりました。最初、ツアーに興味を持ちました。福島県が、3.11の地震と津波からどのように回復しているのかまた震災から2年後、続行中の再建に向けた努力を見る貴重なチャンスだと思ったからです。ツアーでは、それ以上のものを得ることができました。

 最初の訪問先は、福島県農業総合センターでした。そこで、農作物の放射能検査方法を知りました。 それは、県産品の安全性を保証し、国内外での県産品の評判を上げるための、重要な役割を果たしていました。特に、福島県の放射能許容値がアメリカよりずっと厳しいことに驚きました。その上、その厳しいレベルを超えることがほとんどないかゼロに等しいのです。(生産物の種類によります。) また、すべての農産物をテストすることが不可能でも、福島県産の米がすべて検査されていることや、自家消費用米さえ検査されていることを聞いて驚きました。訪問して、福島県産品を安心して買うことができるようになりましたし、検査が広範囲にわたり、厳しい基準で実施されていることが嬉しかったです。福島が桃で有名なことを知っていましたが、福島だからこそできる数種類の品種栽培については、知りませんでした。様々な品種があることを知ったので、一つ一つ味を試したいと思います。

 昼食後、トマトランドいわきという農園を訪ねました。何列ものトマトが栽培されている大きな温室でした。種類が多く、小さなチェリートマトや、私の拳より大きいトマトもありました。パプリカも数列ありました。植物の中、列に沿って歩くのは、楽しかったですし、作業者とトマトのために、音楽を流していることがとても素晴らしいと思いました。作業者の一人が、震災後売り上げが落ちたことや、当時県産品の安全性に誰も自信がなかったこと、トマトベースの食事が流行して売り上げが現在回復したこと、顧客層が震災前と違うこと等を話してくれました。それから、おみやげとして、自分のトマトを採るように言われました。実は、バッグに入れるよりも多く食べてしまい、バス旅行が終わる時には、最後の一つまでも食べてしまいました。ただ、ただ、美味しすぎたのです。

 次の訪問先は、その状況に向き合うには難しい場所でした。私達は、いわき市久ノ浜の津波被災地を訪れました。勿論、ニュースで被災地の写真やビデオを見ていましたが、実際に見ることは比べものになりません。2年過ぎても、被害は、歴然としていました。津波は、この近隣を特に強く襲い、多くの家々や建物を押し流しました。その夜遅く火事があり、事態は悪化しました。送水管が破損して、消防士が消し止めることができず、二日間続いたため、瓦礫や、津波に耐えた建物も破壊しました。当日やその後の写真を見て、地元の人から話を聞きました。特に、最初の津波が小さかったため、多くの人々が護岸まで見に行ったため、次に来た大津波から逃げることができなかったことを聞いたとき、とても悲しかったです。話してくれた地元の人は、自分の車を残して、丘まで走っていって、逃げることができたと言いました。

 しかし、この訪問には、希望がないわけではありませんでした。目に見えるものの一つとして、被害を受けないで津波に耐え、瓦礫の中に立つ神社がありました。小高い丘に立っていたことや、海と神社の間にあった建物に守られたことが重なって残りました。神社の周りには、亡くなった方達への花や捧げものが捧げられていました。前にあった建物の瓦礫に囲まれたその光景には、目を見張りました。

 浜風商店街を見る機会もありました。地元の人々が地域住民のために運営する小さな商店街です。興味深く、店主と話したり、お話を伺ったりしました。親しみやすい方達ばかりでした。被災地からさほど遠くない場所でも、地域の復興を見て、元気づけられました。

 勿論、いわきは、海が近いので魚介類が有名です。夕食には、魚料理を沢山食べ、鴨鍋も食べました。美味しかったです。

 最終日になる二日目、ピープルが運営するオーガニック・コットン・ファームプロジェクトからスタートしました。このグループは、震災後、放棄農地をオーガニック・コットンの栽培に使っています。放棄農地が、本来の目的でなくとも、使用されるのは素晴らしいことです。このプロジェクトは、ボランティアに収穫してもらい、乾燥、洗浄後、人形等様々な製品やTシャツの材料に使います。自分たちで綿を積む機会があり、とても楽しみました。乗り込むバスを待っている間、ファームを手伝う数名の住民に会いました。一人の女性は、家が壊れたとき、会津若松に避難したとおしえてくれました。彼女は、いわきに戻る前に、会津で寒い冬を一冬耐えたと、笑って話しました。今は、綿畑を下った場所にある仮設住宅で暮らしていると話してくれました。いつかは、家を建て直したいが原発周辺の避難区域にあるのでしばらくは無理だとも話していました。

 綿を摘んでから、小さな綿の人形を作りました。空の綿鞘を飾りに使い、綿で人形を包んで髪の毛を作りました。かわいいものができました。綿花の中には何個か種が残っているそうです。ガイドが種を取り出して春に蒔けば自分の綿を栽培できると言ってくれました。自分で育ててみた、綿を見たいです。

 それから、刺身のランチを食べて、蒲鉾工場の貴千に行きました。従業員が震災後の苦難について話してくれました。工場が被災したので、修理のため、1ヶ月生産を止め、その間、顧客は、北海道や新潟の会社から蒲鉾を買って需要を満たしました。スーパーで、福島県産の蒲鉾が売られていないことから、福島県産品が安全ではないと判断したので、いわき工場の評判がますます悪くなりました。2年経った今でも売り上げは、戻っていません。それで、ビジネスのやり方を変えました。伝統的ないわきの味を引き出した独特の蒲鉾を創り、イタリア風蒲鉾さえ製造したのです。この国にとって、本当にユニークなことですし、今後の成功を祈りました。

 最後の訪問先は、国宝を抱える白水阿弥陀堂です。寺を囲む池には、鴨がいて、秋の色は、美しくてまるで絵のようでした。素晴らしい週末旅行の中でゆったりとしたフィナーレでした。

 今回のツアーで福島の復興活動についてたくさんのことを学びました。地震と津波による物理的被害はもっとも分かりやすいと思いますが、福島、そして福島産業への風評被害なども考える必要があります。私は福島県産品の安全性を確信しているし、他の方にもこの事実に気づいてほしいです。福島県民に明るい未来が来るように心から願っています。

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