日本に来て6ヶ月が経ち、すっかり私の「実家」となった福島県。ここは、一部のマスコミで報じられたような場所とはかけ離れていた。確かに、福島県及び福島県民は復旧・復興という名の厳しい戦いに直面していると言っても過言ではない。それに、なすべき課題は今もなお山積みほどある。しかし、今回いわき市の海岸沿いにある東日本大震災で甚大な被害を受けた久之浜地区を訪れた際、私が目撃したものは、現地住民誰もが意気消沈していなかった事実である。 いくつかの建物、そして一部の住民は現在もなお悪名高き東京電力福島第一原子力発電所から約30キロ離れたこの久之浜地区に残っているが、津波の侵食で町が消え、多くの住民がほかの地域で避難生活を余儀なくされた。私は海辺の廃墟に入り、基礎しか残っていない、かつて盛んでいたであろう住宅か企業か何らかの建物の変わり果てた姿を目にして、言葉を失い、ひとりで佇んだ。この荒廃の状況では、収拾しようもない。「一体どうすれば、この廃墟の山から瓦礫を退去するというの?」――それは、私の率直な感想だった。 しかし、答える暇もなく、私は再び絶句した――瓦礫の撤去は確かに行われていた。そして、廃墟から少し離れた場所ではなんと、小さな商店街があった。仮設でできた店頭では、地元の食材をはじめ、魚介類や地酒なども並んでいた。私達は温かいコーヒーをすすりながら、地元住民の明るい笑顔と前向きな姿勢に癒された――あれほどひどい災害に見舞われても、人間は持ち前の寛大さと優しさでこのようにいられることを、私は思い知らされた。 もし、福島県は悪いように同じぐらい、いいように報じられていたら――もし、知識のない人が科学的根拠なく無責任に誤解を招くことを気にせずに脚本を潤色しなかったら――福島県は今日のような様々な批判から逃れることに成功したのであろう。福島県が直面している課題に真っ向から報道し、困難を覚悟した上で取材を決行したジャーナリストがいれば、その取材は彼ら自分自身にとっての「スタディツアー」だと思う。そうすれば、彼らは自ら選択する余地がなくとも、私の心境や、私が伝えいことを思い知ることになるのだろう。 |
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