県南地区の巨木を紹介します
福島県が平成28・29年度に行った巨木調査の結果を公開しています。
ふくしまの巨人たち(県南地区)
乙姫桜 白河市
本寺は、日蓮聖人尊定の大曼荼羅を本尊とし、寛保元年(1741年)宗祖日蓮上人の第千十九世の法孫、日總上人が、白河に当宗の寺院が無いのを憂い、領主松平越中守に乞うて創建されたものと伝えられる。 本樹は、仙台藩主伊達政宗(1567~1636)が桜の苗木を将軍家に献上する途中、城下で休息した際住職に所望されてその内の一本を現在地に植えていったものと伝えられている。樹令から推定して創建前よりあったものと思われるが、開花時は濃紅色の見事な花を咲かせる。樹勢も良好である。 ■樹 種 ベニシダレ ■樹 高 11.0m ■幹周り 4.1m ■樹 齢 450年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市金屋町 (森まっぷで表示) |
従二位のスギ 白河市
白河の関所跡に屹立する老杉で、往昔、従二位藤原家隆(1158年~1237年)がこの地に遊行の折、白河神社に献植したと伝えられ、その位階をとって「従二位の杉」と名付けられたものである。樹勢は良好である。 ■樹 種 スギ ■樹 高 34.0m ■幹周り 6.3m ■樹 齢 800年 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市大字旗宿 (森まっぷで表示) |
月夜見のサクラ(ケヤキ) 白河市
伝説によれば、往昔、日本武尊が東征の際、近くの山から月光に映える本樹を眺め、あたかも満開のサクラを見るようであったため、この名がある。当時の旧幹は枯れ、現在のものは、新株のものといわれている。藤原鎌足の歌に「みちのくやふりさけ見れば都々古山月夜見桜澄める有明」とある。 ■樹 種 ケヤキ ■樹 高 25.0m ■幹周り 12.25m ■樹 齢 600年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市表郷 (森まっぷで表示) |
中野のコウヤマキ 白河市
所有者の菊地家は、貞享(1684年~1688年)、元禄(1688年~1704年)、宝永(1704年~1711年)の年間を通じての大庄屋で、このコウヤマキは、この頃すでに植樹さてれいたものと伝えられる。コウヤマキは当地方の自生自然木でなく、他の地より求め植樹されたものと思われる。樹勢は良好である。 ■樹 種 コウヤマキ ■樹 高 25.0m ■幹周り 5.3m ■樹 齢 500年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市表郷 (森まっぷで表示) |
社田のゴヨウマツ 白河市
現在の社田集落は、元、社仁井田村と称し、明治10年(1877年)頃まで、天台宗稲荷山教王院の境内にあった。この稲荷山教王院の創立については不詳であるが明治2年(1869)に廃寺となった。良弁僧正が奥羽地方巡業の帰路、蔵王から五葉松の苗2本を持ち帰り、植えたと伝えられ、境内には2本のゴヨウマツがあったといわれる。現在のものは何度か植え継がれたものと考えられ、幹が途中から五本に枝分れしているが樹容は見事で、樹勢も盛んである。 ■樹 種 ゴヨウマツ ■樹 高 23.0m ■幹周り 3.7m ■樹 齢 400年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市表郷 (森まっぷで表示) |
天満宮乳銀杏 白河市
古くからこの幹の皮を削り煎じて飲めば母乳が出ると信じられ、今でも根元の皮には、その削りとられた傷痕が残っている。戦後、その風習はなくなった。 ■樹 種 イチョウ ■樹 高 26.0m ■幹周り 4.93m ■樹 齢 500年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市大信隈戸 (森まっぷで表示) |
町屋の二本カヤ-(1) 白河市
この地は、磐城の国と岩代の国の境に位置しており、「道目木」の地名から、このカヤは道標ともなっていたと考えられる。また、川の対岸に構築された舘跡(白河結城の出城)の鬼門に植えられたとの伝説もある。 ■樹 種 カヤ ■樹 高 14.0m ■株立ち 14.61m ■樹 齢 不明 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市大信町屋 (森まっぷで表示) |
町屋の二本カヤ-(2) 白河市
この地は、磐城の国と岩代の国の境に位置しており、「道目木」の地名から、このカヤは道標ともなっていたと考えられる。また、川の対岸に構築された舘跡(白河結城の出城)の鬼門に植えられたとの伝説もある。 ■樹 種 カヤ ■樹 高 15.5m ■株立ち 14.34m ■樹 齢 不明 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市大信町屋 (森まっぷで表示) |
天神モミ 白河市
■樹 種 モミ ■樹 高 29.0m ■幹周り 4.9m ■樹 齢 500年 ◇市指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/白河市大信隈戸 (森まっぷで表示) |
陣屋の二本カヤ-(1) 矢吹町
幕府領浅川陣屋の支配領であった当地方の村々のうち、七カ村が、天保8年に旗本領となり当所に陣屋が設置された。 所有者邸宅は、天保8年(1837年)に当地方の領主となった旗本、松平軍次郎康済の、いわゆる「中畑陣屋」である。陣屋の建設当時、街道筋の農家を立ち退かせたがあまりに見事なカヤの木であるため表門と裏門の中間に位置するように陣屋を造りカヤの木を残したと言われている。旧陣屋の庭園内にあるところから貴重な存在である。樹勢も旺盛である。 現在、陣屋は会津武家屋敷(会津若松市)に移築され、庭園にその面影を残している。 ■樹 種 カヤ ■樹 高 23.5m ■株立ち 10.6m ■樹 齢 540年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/矢吹町中畑 (森まっぷで表示) |
陣屋の二本カヤ-(2) 矢吹町
幕府領浅川陣屋の支配領であった当地方の村々のうち、七カ村が、天保8年に旗本領となり当所に陣屋が設置された。 所有者邸宅は、天保8年(1837年)に当地方の領主となった旗本、松平軍次郎康済の、いわゆる「中畑陣屋」である。陣屋の建設当時、街道筋の農家を立ち退かせたがあまりに見事なカヤの木であるため表門と裏門の中間に位置するように陣屋を造りカヤの木を残したと言われている。旧陣屋の庭園内にあるところから貴重な存在である。樹勢も旺盛である。 現在、陣屋は会津武家屋敷(会津若松市)に移築され、庭園にその面影を残している。 ■樹 種 カヤ ■樹 高 19.5m ■株立ち 6.54m ■樹 齢 540年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/矢吹町中畑 (森まっぷで表示) |
本法寺のシダレザクラ 中島村
本寺は、宗祖日蓮所顕十界互具の大曼荼羅を本尊とし、永観3年(985年)宗祖日蓮の法統を継ぐ14代日主が建立したと伝えられる古刹である。 ■樹 種 シダレザクラ ■樹 高 9.9m ■幹周り 3.38m ■樹 齢 340年 ◇県指定緑の文化財 所在/中島村大字滑津 (森まっぷで表示) |
善通寺のシダレザクラ 中島村
本寺は、正観世音菩薩を本尊とし、文安元年(1444年)当時の舘主、舟尾昌忠を開基とし、茨城県久慈郡誉田村耕山寺、寒室永旭和尚を開山として建立され、昭和27年(1952年)の類焼まで三回罹災し今日に至るものである。本樹は、天和年間(1681年~1684年)に植樹されたと伝えられるが、詳らかではない。 ■樹 種 シダレザクラ ■樹 高 9.9m ■幹周り 4.2m ■樹 齢 400年 ◇県指定緑の文化財 所在/中島村大字滑津 (森まっぷで表示) |
棚倉城跡の大ケヤキ 棚倉町
棚倉城は、寛永2年(1625年)ときの藩主丹羽長重が、関東守護の要路として重視する徳川幕府の命により築城した平城で、2年間を要し、寛永4年(1627年)に完成した。丹羽長重は、大同2年(807年)の創建と伝えられ、もともとここに鎮座した都々古別神社の境内に築城することとし、このため奥州一の宮として延喜式内名神大社に列したこの古社を現在の馬場地内に遷座し、併せて、神社建築のため境内にあった木々を材料として使用することとしたものである。当時、境内にはうっ蒼と種々の木々が茂っていたものと思われ、このケヤキもその中の1本であったものであるが、場所も良く、神木で形も秀れていたため、記念に残されたものと思われる。 ■樹 種 ケヤキ ■樹 高 28.5m ■幹周り 7.86m ■樹 齢 640年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/棚倉町大字棚倉 (森まっぷで表示) |
希望のサクラ 棚倉町
このサクラには、次のような言い伝えが残されている。「明治40年(1907年)、元社川小学校教諭であった 五十嵐庫之助が、ある時同じ区域内の向原の方面に出かけていくと、一里塚のところに旅人の目じるしのために植えたと思われる桜の木があり、少人数では、運ぶことが出来ない大きさであった。そこで近くの逆川集落の人が譜請をしていたので、その人達に手伝ってもらって植え替えした」というものである。社川小学校校庭に植えられ、子供たちの健やかな成長を願い「希望の桜」と名付けられた。以来このサクラは校歌の一節にも「この桜学びの庭にそびえたつ末安かれと守れ子のため」と謳われ、全校児童は勿論のこと、父母からも親しまれて校庭に聳立する。 ■樹 種 エドヒガン ■樹 高 17.0m ■幹周り 4.5m ■樹 齢 160年 ◇町指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/棚倉町逆川 (森まっぷで表示) |
花園の高野槙 棚倉町
文治3年(1187年)、源義経の家来、鈴木三郎源重家は、義経に従い平泉まで同行するが、その途中傷を負って、この花園の地に数年の間身を寄せることになる。その際、守護神として熊野権現を祀り「熊野三社花園大権現」として崇拝していた。このコウヤマキはその当時植えられたもの推定される。近くに景勝地として小さな滝があることから尾滝神社と名付けられ、かつては毎年4月15日を鈴木三郎源重家の出立の日として祝い、当時を偲んでお祭りがあった。 ■樹 種 コウヤマキ ■樹 高 21.5m ■幹周り 4.24m ■樹 齢 740年 ◇町指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/棚倉町大字花園 (森まっぷで表示) |
二柱神社のスギ 棚倉町
二柱神社は、延喜年間(901年~923年)に伊邪那岐尊と伊邪那美尊を祭神としてこの地に創立されたが、そのとき里人が守護神として植えたのがこのスギであると伝えられる。樹高が高く、亭々として直立する威容はまことに気高い。樹勢も旺盛である。 ■樹 種 スギ ■樹 高 38.8m ■幹周り 7.07m ■樹 齢 1040年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/棚倉町大字寺山 (森まっぷで表示) |
蓮家寺の大ケヤキ 棚倉町
本寺は、阿弥陀仏を本尊とし、慶長8年(1603年)、代官彦坂刑部の家臣、蓮家主水と糠屋林兵衛の両人により建立されたと伝えられるもので、このケヤキはその頃植えられたものであろう。樹勢は良好である。 ■樹 種 ケヤキ ■樹 高 34.5m ■幹周り 8.85m ■樹 齢 390年 ◇県指定緑の文化財 所在/棚倉町大字棚倉 (森まっぷで表示) |
戸津辺のサクラ 矢祭町
由来については不詳であるが、本樹の所在地一帯は、昔「上の屋敷」と呼ばれていたところから、高貴の人の屋敷跡のサクラと思われる。 早咲きのこのサクラは、遠く久慈川の向こう岸からも見ることができる老木で、枝が柔軟にのびた最古木で、旧道のそばにあり、行き交う人にやすらぎを与え、農家ではサクラのつぼみのふくらみ具合をみて農作業の準備を行っていた。 ■樹 種 エドヒガン ■樹 高 20.0m ■幹周り 7.02m ■樹 齢 550年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/矢祭町大字中石井 (森まっぷで表示) |
小田川のケヤキ 矢祭町
天文2年(1533年)の頃、佐川家の祖先が、防風林として屋敷内に植えたものと伝えられる。根張りが見事で、樹勢も良好である。 ■樹 種 ケヤキ ■樹 高 25.0m ■幹周り 4.99m ■樹 齢 480年 ◇県指定緑の文化財 所在/矢祭町大字小田川 (森まっぷで表示) |
向ヶ岡公園の桜-(1) 塙町
当公園は、天明の飢饉(1782年~1787年)で疲弊した幕僚14万石を復興するため着任した代官、寺西重四郎源封元が、寛政5年(1793年)に窮民救済事業とともに農山村民の娯楽場として築造したもので、水戸の偕楽園、白河の南湖公園より更に古く、本邦庶民公園の鼻祖といわれる。このサクラは、その頃植えられたものと思われ、5株のうち、2株は枯倒切除され、現在は3株だけが残っている。 ■樹 種 エドヒガン ■樹 高 14.0m ■幹周り 3.75m ■樹 齢 220年 ◇県定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/塙町大字塙 (森まっぷで表示) |
向ヶ岡公園の桜-(2) 塙町
当公園は、天明の飢饉(1782年~1787年)で疲弊した幕僚14万石を復興するため着任した代官、寺西重四郎源封元が、寛政5年(1793年)に窮民救済事業とともに農山村民の娯楽場として築造したもので、水戸の偕楽園、白河の南湖公園より更に古く、本邦庶民公園の鼻祖といわれる。このサクラは、その頃植えられたものと思われ、5株のうち、2株は枯倒切除され、現在は3株だけが残っている。 ■樹 種 エドヒガン ■樹 高 9.0m ■幹周り 2.74m ■樹 齢 220年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/塙町大字塙 (森まっぷで表示) |
向ヶ岡公園の桜-(3) 塙町
当公園は、天明の飢饉(1782年~1787年)で疲弊した幕僚14万石を復興するため着任した代官、寺西重四郎源封元が、寛政5年(1793年)に窮民救済事業とともに農山村民の娯楽場として築造したもので、水戸の偕楽園、白河の南湖公園より更に古く、本邦庶民公園の鼻祖といわれる。このサクラは、その頃植えられたものと思われ、5株のうち、2株は枯倒切除され、現在は3株だけが残っている。 ■樹 種 エドヒガン ■樹 高 9.0m ■幹周り 3.68m ■樹 齢 220年 ◇県指定天然記念物 ◇県指定緑の文化財 所在/塙町大字塙 (森まっぷで表示) |
富田八幡神社のスギ 鮫川村
神社の由来は不詳であるが、神社本殿の厨子(ずし)の後に、明和7年(1770年)の記載がある。このスギは、それより遥かに古いと推定される。一名「北郷大郎の双杉」とも呼ばれているが、2本の巨杉が並んで屹立している姿は壮観である。樹勢も良好である。 ■樹 種 スギ ■樹 高 38.0m ■幹周り 4.14m ■樹 齢 550年 ◇県指定緑の文化財 所在/鮫川村大字富田 (森まっぷで表示) |